大判例

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最高裁判所大法廷 昭和26年(オ)186号 判決 1960年10月10日

上告人 国光自動車株式会社

被上告人 国

訴訟代理人 浜本一夫 外一名

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人清瀬一郎、同内山弘の上告理由第一点について。

本件不動産が昭和一六年法律第九九号敵産管理法にいわゆる敵産であり、戦時中上告人の所有に属したところ、終戦後昭和二一年五月勅令第二九四号「連合国財産の返還等の件」が発布せられ、同二四年一一月一五日大蔵大臣は右勅令二条により、上告人に対し、右不動産をシエル石油株式会社に譲渡すべきことを命じ、これによつて上告人は同年一二月二六日右不動産の所有権を喪失したものであることは原判決の確定するところである。

そして、右大蔵大臣の命令の根拠たる勅令第二九四号は、昭和二一年五月六日附連合国最高司令官の「連合国々民に対する日本所在の財産の返還手続に関する覚書」にもとづき発せられたいわゆるポツダム勅令であること、また右大蔵大臣の命令は、特に前記覚書に従い本件不動産をシエル石油株式会社に返還すべきことを命じた連合国最高司令官の覚書(昭和二四年一〇月三一日附)にもとづき、前記勅令第二九四号二条一項所定の措置として発せられたものであることは原判決の説示するとおりである。

かくのごとき連合国最高司令官の覚書にもとづき、その覚書の趣意を実施するためになされた日本政府の措置は、日本国憲法の枠外にあり、右のごとき措置に対しては憲法の適用を排除するものであることは当裁判所数次の判例の示すところであつて、前記大蔵大臣の命令による本件不動産の譲渡は、日本国憲法の適用外にある旨を判示した原判決は正当である。さらに、この譲渡によつて上告人に生じた損害填補の問題についても、その損害の発生が右譲渡行為に基因するものであるから、憲法二九条三項「正当補償」の規定はそのまま本件損害の填補に適用されるべきものでないとして、直接憲法二九条三項の規定に依拠して、国に対して補償を求めると主張する上告人の本訴請求を排斥した原判決は、正当であつて、この点に関し原判決の法解釈に誤りありと主張する論旨は、採用することができない。

同第二点について。

原判決が上告人の予備的請求たる「条理にもとづく請求」について、上告人主張のごとき条理の存在はただちに肯定することはできない旨判示したことは正当である。ただ、本件のごとき場合、国としてこれがために損害を被つたものに対して補償をすることを相当として昭和三四年法律第一六五号「連合国財産の返還等に伴う損失の処理等に関する法律」が制定され、既に同年一一月二日施行を見るに至つたのである。されば上告人はこの法律の規定するところに準拠してその損失の補償を請求すべきものであつて、直ちに条理にもとづいて請求するというがごときは容認すべきものでないことはあきらかである。

よつて、民訴三九六条、三八四条、九五条、八九条により主文のとおり判決する。

この判決は裁判官入江俊郎、同奥野健一の反対意見があるほか全裁判官一致の意見によるものである。

裁判官入江俊郎の反対意見は次のとおりである。

わたくしは、多数意見には反対であつて、原判決を破棄し、訴却下の自判をなすべきものと考える。

わたくしは、多数説が大蔵大臣の命令による本件不動産の譲渡は日本国憲法の適用外にある旨を判示し、この点に関する原判示を正当としている点においては敢えて反対するわけではないが、この譲渡によつて上告人に生じた損害填補の問題についても、その損害の発生が右譲渡行為に起因するものであるから、憲法二九条三項「正当補償」の規定はそのまま本件損害填補に適用されるべきではないとし、昭和三四年法律第一六五号「連合国財産の返還等に伴う損失の処理等に関する法律」が、憲法二九条三項の正当補償の条項とは無関係である趣旨の多数説の説示には賛同しえない。

わが国が連合国により占領せられ、その管理下に置かれた場合においても、その管理が直接管理の方式によるものではなく、間接管理の方式によるものであつたことは周知のことであり、日本国統治の権限は、占領中といえども厚則的且つ一般的には、日本国の憲法によつて行われたのであつて、従つて、最高司令宮の要求がすべて憲法の枠外であつたというわけではなく、その要求を実施することが日本国の憲法の条規に反するものであつた場合、はじめて、それは日本国の憲法外に効力を有するものとして、憲法の適用を排除し、憲法外において法的効果を持ち得たものと解されたものと思う。当裁判所が、従来この種の問題について示したいくつかの判例の趣旨も、わたくしは、そのような意味のものと解するのが正当であると思つている。

そこで、本件不動産の譲渡は、最高司令官の要求であるから、その譲渡の実施自体については日本国の憲法に拘わりなく、これを実施すべきものであつたことは明らかであるが、それだからといつて、右譲渡に起因して生じた損害の補償までが、憲法の枠外であるというのは、論理の飛躍ではなかろうか。勿論最高司令官の要求が、損害の補償も憲法外において考慮すべき旨を直接示しているか、また、はそれが直接には示されていなくとも、これに起因して生じた損害の補償を日本国の憲法に従つてすることが、右最高司令官の譲渡の要求を実施することを実質的に不可能ならしめまたはそれに近い著しい困難を伴うような特段の事情の存する場合であるならば格別、単に損害が本件譲渡行為に起因するものであるというだけの理由で、その補償もまた憲法の枠外にあると結論することは、占領体制下における管理法令秩序の本質を正解しないものであり、またかくのごとく、最高司令官の要求の実施に起因するものであるからといつて、それだけの理由でこれを憲法の枠外であるというのは、結局憲法の定める基本的人権の保障を軽視するのそしりを免れない。

わたくしは、憲法二九条三項は同条一項に対する例外的の規定であつて、(一)公共のために用いる場合であれば財産権を侵すことができる、(二)その場合においては正当の補償をせねばならないとの趣旨を包含するものと思う。ところで、本件譲渡自体は、最高司令官の要求を実施することに外ならないから、たとえ憲法二九条に反するとしてもその枠外であり、従つて同条三項にいわゆる公共のために用いるものであると否とを問題とする余地も一応はないことである。しかしながら、占領下において、日本国政府が本件譲渡に関する最高司令官の要求を実施せねばならぬということは、日本国が降伏条項の受諾に伴い負う国際的の責任を果たすことであると同時に、国内的に見れば、それは、公共のため私人の財産を用いる場合に当たるものというべきであつて、これにより損害を蒙むる私人に対しては、最高司令官の要求が直接または間接にそれを否定するものでない限り当然憲法二九条三項が適用せられ、これに正当の補償をせねばならないこととなると思うのである。そして、本件譲渡の基本的な根拠となつた敵産返還に関する最高司令官の最初の覚書(一九四六年五月六日連合国国民に対する日本所在の財産の返還手続に関する覚書)は新憲法施行前のものであるが、新憲法施行と同時に、当然その二九条三項の正当の補償に関する規定は、本件にも働らくこととなつたと解さねばならない。(憲法二九条三項の公共のために用いるの意義に関しては、議論がないわけではないが、わたくしは本件の場合のごときをこれに包含せしめることが正当であると考える。)

更にわたくしは、本訴における正当補償請求権は、憲法二九条三項から直接に上告人に発生しているものと考えるのであつて、これがための特別な法律は必らずしも必要ではないと解する。それ故、上告人が原審に訴を提起したこと自体には違法の点は認められないのであるが、本訴の進行中に、昭和三四年法律第一六五号「連合国財産の返還等に伴う損失の処理等に関する法律」が制定、施行された。そして、同法はわたくしの解するところによれば、本件に関する憲法二九条三項の正当補償請求の手続法であると同時に、何が正当の補償に当るかを算式等をもつて規定した実体法である。しからば、同法の施行を見た今日においては、本訴請求は同法所定の規定に従つてなすべきものであり、同法の規定に従つてなされていない本訴は、不適法なものとなつたのであつて、これを却下する外はないのである。なお、上告人は右法律自体が違憲であるとの主張を有するようであるが(昭和三五年一月上告代理人より提出の陳述書)、それは、改めて上告人が同法によつて請求をし、補償額が決定した上で、その補償額が憲法二九条三項の正当の補償に当らない旨を主張する別訴において争うべき事柄であり、今同法が違憲であるか否かの判断は、当裁判所としては与える必要はない。

されば、原判決はこれを破棄し、本件訴はこれを却下すべきものである。

裁判官奥野健一の反対意見は次のとおりである。

本件連合国財産の返還が連合軍最高司令官の覚書により、昭和二〇年勅令第五四二号に基く昭和二一年勅令第二九四号(返還勅令)二条一項の措置として命ぜられたものであつて、憲法の枠外にあるものであることは多数意見のとおりであるとしても、これに起因する損失の填補の問題についてもまた憲法二九条の規定の適用がないとの論には賛成し難い。

すなわち、本件財産の返還自体の問題とこれが損失の補償の問題とは不可分の関係にあるものとは断じ難いのみならず、昭和二〇年九月一三日の連合国財産の保全を命じた覚書、昭和二一年五月六日付の覚書およびこれに基く前記返還勅令においては返還した者に対する損失補償の点については何ら触れておらず、昭和二一年一一月二二日付の覚書および同二三年四月二二日付覚書において始めて返還受領者に対する財産の返還によつて損害を蒙つた者は日本政府に対しその救済を求むべき旨指令しており、これに基き昭和二六年一月二二日政令六号(返還政令)が制定され、その附則一七項において返還者の損失の処理については、別に法律で定める旨を規定しているのである。従つて、返還者に対する損失の補償について別に法律で定めることを予定しているというだけであつて、損失補償をしないと定めていないことは勿論、その損失補償の問題は憲法の枠外のものであるべき趣旨は毫も窺われないものであり、しかも、右法律が平和条約発効後、わが国が完全に主権を回復した後に制定せられる場合当然それは最高法規である憲法に違反することは許されないものと解さなければならないのである。

わが国が、敗戦の結果、連合国の要求により、戦時中敵産を取得した者よりその財産を強制的に返還せしむべき義務を負い、その義務の履行として国民の財産を返還せしめることは、国の必要によるものであるから、国が公共のため国民の財産を用いる場合に当たるというべく、憲法二九条三項の適用を免れないところである。(もつとも、いわゆる敵産は国民の本来固有の財産と異りその取得者は敗戦の場合旧敵国の要求により返還せしめられるかも知れない運命にある財産であつて、これが損失補償については固有の財産を剥奪される場合とは別個な補償の規準によることも考えられないこともないのである。)

しかし、本件連合国財産の返還による損失の補償については前記の如く始めより別に法律によるべきことを予定されているのであるから、返還者はその法律の制定をまつて、これに準拠して損失補償を求めるべきである。(その法律の制定が遅れたことによる不利益の救済については別に政治的、法律的手段によるべきであつて、右法律の制定をまたずこれを無視して請求することはできないのである。)そしてその法律は昭和三四年法律第一六五号として既に制定公布された以上その法律が憲法に適合しているか否かは別として、該法律によつてのみ、本件損失補償の請求をなすべきものであり、憲法二九条三項により直接請求する本訴は訴されないものであるといわねばならない。

もつとも、憲法二九条三項の損失補償については法律の規定をまつて具体的請求権が生ずるとの論もあるが、私は憲法二九条の財産権保障の規定は、単に財産権保護の大原則を示すに過ぎないものであるとか、立法府、行政府に対する規範を定めたものに過ぎないとかいう論には賛成できないのであつて、直接本条により国民の財産権は保障されているものと考えるものであり、従つて、若し政府その他の機関の行為により財産権を侵害された国民は別に手続に関する法律が制定されてなくとも直接本条により憲法三二条に基き裁判所に出訴できないものではないと考えるのであるが、本件の場合は前示の如く損失補償については別に法律によるべきことを予定されているのであるからその法律の制定があつた以上、これを無視して出訴することは許されないものと考える。

なお、前記法律第一六五号によれば損失の補償については先ず大蔵大臣にその支払を請求し、その処分に不服ある者は大蔵大臣に不服申立をするなど行政訴訟の構造を前提とするものであつて、本訴の如く直接国に対して損失補償を求めることを許していないのであるから本訴が直ちに同法による訴訟とみなして取扱うことはできないのである。

以上の次第であるから結局本訴は不適法であつて、原判決を破棄して本訴を却下するのが相当と考える。

(裁判官 田中耕太郎 小谷勝重 島保 斉藤悠輔 藤田八郎 河村又介 入江俊郎 池田克 垂水克己 河村大助 下飯坂潤夫 奥野健一 高橋潔)

上告代理人清瀬一郎、同内山弘の上告理由

第一点原判決は昭和二十一年勅令第二百九十四号「連合国財産の返還に関する件」中其の第二条の解釈及適用を誤りたる違法の判決である。

本件の経過を簡単に一言すれば、原告会社は昭和十九年八月一日訴外有限会社神奈川トヨタ指定工場という会社より小田原市幸一丁目百六十番地の一、二の宅地百三十二坪八勺及其の地上の鉄筋コンクリート建の事務所及之に附属する塀並に諸附属物を買受けて取得し爾来之を営業用に使用し日々相当の利益を挙げ来つた。

右不動産というのは、もと在横浜ライジングサン石油株式会社(主たる株主は英国人)の所有であつたので昭和十六年十二月敵国財産管理法の適用に依り、敵産管理人板垣邦器の管理に附せられたところ、同人は当時行われた日本法律(この法律は国際法にも合致す)に依り之を小西利吉なる者に売却した。(その代金は他日の返還に備えて法に従つて保管せられた)。小西はその後これを前記有限会社神奈川トヨタ指定工場というに売渡したのを前項の様に原告が昭和十九年八月買受け爾来之を営業用に使用して居つたのであつた。

終戦後である昭和二十一年五月に同年勅令第二百九十四号が発布せられ、昭和二十四年十一月十五日大蔵大臣は右勅令第二条に由り右不動産及附属設備を前記ライジングサンの承継人であるシエル石油株式会社に同年十二月五日迄に譲渡すべきことを命じ引続き此の事を官報により告示した。仍て原告会社は右昭和二十四年十二月五日限り前記資産の所有権を喪つたから(同令施行規則第六条)本訴に於てその補償を求めたのである。

本訴第一審における主要なる争点は前記昭和二十一年五月勅令第二百九十四号第二条に因る大蔵大臣の譲渡命令に依り所有権を喪つたものは政府に対し補償を請求し得るものであるか否かであつた。

原告と被告との間の応酬は今、暫くこれを省略するが、原裁判官は(1) 右勅令第二百九十四号の第二条第一項に依る旧敵産の返還命令は日本国憲法の適用外に在るということ。(2) 財産の返還が憲法の適用外に在る以上之に因る損失の処理も同様憲法の枠外に在るとの論理に由り原告の請求を根本的に却下してしまつた。

しかし、この判決は右勅令第二百九十四号の趣旨を不当に拡大したものであつて、全く不法の判決である。本件問題は勅令第二百九十四号第二条の解釈問題であるから、先づここに便宜のため右勅令第二条の正文を抜萃引用する。

「第二条 大蔵大臣は、その定めるところにより、聯合国財産について所有権その他の権利を有し若しくはこれを占有している者又は昭和十六年十二月八日以後に於て所有権その他の権利を有し若しくはこれを占有していたことのある者(その一般承継人を含む)に対して他の法令にかかはらず同日午前零時において聯合国財産を所有していた者(その承継人を含む)に対する返還その他必要な措置を命ずることができる。

前項の規定による命令を受けた者は、他の法令にかかはらずその命令に係る措置をなすことができる。」

(一) 右法文を繰りかへし読んで見るも、国民の財産を無償で旧所有者に返還すべしということは現はれて居らぬ。又同勅令の他の法文にも無償譲渡を命ずるの主旨はあらはれて居らぬ。

(二) 斯の如き措置を政府に要求した連合国総司令官の覚書や、書簡を研究しても、ある財産につき現在既得権を生じた所有者より無償で旧所有者に引渡を命ずべしとの主旨は現はれて居らぬ。又米人の法的感覚よりするも左様に不公平なことを命ずべしとも思はれぬ。現に原審で当代理人が引用した一九四六年十一月二十日の指令第三項は必要な手続を定めることを(to provide necessary procedures)指示して居る。必要な手続というのは補償とか、代替物の交附とか道理上相当と認められる方法を含むと読むべきである。

(三) 今、仮りに原判決の用いた語句「憲法の枠外」という語を使用するならば戦前の在日資産を旧所有者又はその承継人の手に迅速に還すということが憲法の枠外であつたろう。

その補償の有無は憲法の枠内でなければならぬ。右勅令発布の根拠である昭和二十年勅令第五四二号は旧憲法第八条第一項に由る緊急勅令であつて、連合軍の要求にかかる事項を迅速に行う必要から生じた緊急処分である。

土地収用法等の迂遠な手続に由らずして、兎に角、旧敵産を原所有者又は承継人に引渡せば二十年勅令第五四二号、二十一年勅令第二九四号の目的は達せられる。後日損失を評価裁定して支払うということはそれほど緊急を要する事柄ではない。二十年の緊急勅令はそのこと迄も委任して居るのではない。

(四) 前記勅令第二九四号が発せられた当時は我国旧憲法の時代であつたが其の時代の我国の観念でも所有権は尊重せられた。戦時、事変の際に行はれる徴発でさえも補償を与えた。況んや戦争状態は事実上終熄して居るに拘らず国民個人の所有物を一方的に強制譲渡を命じ之に対し補償を与えぬというが如き法規を発布する筈がない。もし此の勅令が左様な主旨であつたならば昭和二十二年五月三日の新憲法施行と同時に右勅令は失効する筈である。(憲法第九十八条)これを失効せずと解する以上は、やはり国家要求の為めに個人の所有権の強制譲渡を命じた場合其の半面、正当補償は与えらるべき主旨を予定するものと解せねばならぬ。

(五) 右勅令は無償譲渡を強制するものでない事は勅令発布当時の政府当局も之を認めて居ると解すべきである。その証拠に二十二年三月十五日の大蔵省令第二十五号にも吝ではあるが、ある種の補償を認めて居る。殊に参考となるのは右勅令を廃して之に代えたる昭和二十六年一月二十二日の政令第六号「連合国財産の返還に関する政令」である。右政令はその附則17号に於て本件の如き場合に生ずべき損失の処理に関してはこの政令に定めるものの外別に法律で定めると規定した。政令が規定事項を法律に委任するということはあり得ない。これは、冠履顛倒である。畢竟右政令の規定は、この種の損失については日本憲法に依れば法律的に処理せねばならぬとの主旨を含むものと解せねばならぬ。

(六) 本件の対象たる補償は国民の不変の基本権として発生するものではあるが、もしその手続限度を国民代表の国会にて立法で限定するならば、その内容が合理的なる限りそれには従わなければならぬが立法が無いからといつて此権利を無視否定するわけにはゆかぬ。新憲法施行後も有効であると解せられる勅令が、斯かる無理な内容を含むものと解釈すべきでない。(但此点は後にも論ずる)

要するに勅令第二百九十四号の譲渡措置と補償とを不可分なりとし、而して前者が憲法の枠外であるから補償も憲法の枠外であるとした原審裁判はこの勅令の解釈適用を誤つた違法の判決である。

第二点原判決は我国に於ても行はると認むべき立憲的条理を正解せざるものである。

原審に於て被告代理人は、しきりに本件の措置は憲法の支配を受くべきものでないと論じた。仍て原告は直接成文憲法の規定をそのまま文字通り引用しないでも、我国の目標とする文化国家に於ては個人の私権を重んずるものであるから、政府の譲渡命令に依り個人の権利が喪はるればこれを補償するのが当然であると主張した。之に対し原判決は次の如き理由を以て原告の主張を退けたのである。

『よつて進んで原告の条理に基く予備的請求につき按ずるに、今日各国の憲法に「正当補償」に関する規定があり、個人の財産を無償で徴収しないことを原則としていることは原告所論の通りであるが、法律の規定によれば補償を与えずとも財産権の公用徴収を為し得ることを定めた憲法もあり、又正当補償の観念の内容も必ずしも一定したものではなく立法の目的と当時の社会状勢によつて定められるべきものであつて、本件の如き旧敵産の譲受人が敗戦の結果戦勝国の要求に基き国家より財産の返還を命ぜられた場合において国家は返還者に対し右財産の返還当時の時価相当の補償を為すことが今日の文明国の政府の行動を支配する当然の条理であるとの原告の主張は遽に首肯し難い。のみならず、元来条理換言すれば自然的な正義原理は法の全体系に貫流する理念として法の解釈適用を指導する倫理的規準であり実定法の基礎をなし実定法規範も大局的にはこれが表現であるけれども、それが実定法上の細目の規定によつて具体的に表現されない限り条理そのものから直に実定法上の具体的な権利を認めることはできない。従つて条理に基く原告の請求も到底これを認容し難い』と。

しかし右判文は如何にも低調であつて、戦前の官僚的法律解釈の臭気が紛々としている。

(一) 第一、上告人は今日各国の憲法が個人の財産を無償で徴収しない規定のあることを列挙しようとして居るのではない。我国の憲法、国是が私有財産尊重の原則を根底として立てられて居るというのである。原審裁判官は果して之を否定するのであろうか。原判文には「法律の規定によれば補償を与えずとも財産の公用徴収を為し得ることを定めた憲法もあり」という。これはソ聯か乃至はその衛星国の憲法を引用するのであろう。しかし我国は共産主義国とは立国の大本を異にして居る。この根本を見失なつた裁判は我国の裁判ではない。その様な私有財産否定の憲法規定は縦令間接にもせよ日本国の裁判を支持するために援用することは出来ぬ。

(二) 原判決は「正当補償の観念の内容も必ずしも一定したものではなく、立法の目的と当時の社会情勢によつて定められるべきもの」であると言つて居る。その限度までは、ある意味では原裁判も肯定せられ得ないでもない。(尤もその所謂「当時の社会状勢」という文字には語弊がある。政府の政治的要求をも含むとすれば正当補償の原則は容易に蹂躙せられる)。原裁判所も亦正当補償の原理が自然法的要求として存在することは否定して居らぬ。若し此の権利が憲法を俟つ迄もなく、自然の条理として存在するものと解する以上は、その内容、限度を定むるのが裁判官の任務である。ここに判例法が発生する。各国で区々だという事は正当補償を否定する理由とはならぬ。

(三) 原判決は「元来条理換言すれば自然的な正義原理は法の全体系を貫流する理念」に過ぎぬ。実定法で細目の規定がなければ具体的な請求の根拠とならぬという。しかし、これはあまりにも抽象的説明である。世にいう条理とか、正義というもののうちには原裁判所のいうようなものもあろう。或は男女は平等の権利ありとか、労働は神聖であるとかいう場合もその一例であろう。しかし、私有財産は尊重せらる。私権に関しては国家も私人と対等の関係に在る。所有権の侵害に対しては、正当補償が与えられる、というが如き条理は直ちに裁判所に於て適用し得らるる条理である。古来の名裁判官といはるる人々は多くはこの種の条理に実際的効果を与えたる人々である。原判決は此の角度よりいうも亦不当である。

更に貴裁判所の高き御見識を以て我国裁判官の遵守すべき方針を併せ示されん事希望に堪えぬ。

追記

本上告理由書は単に原判文に対応して不服理由の綱目のみを挙記した。この綱目範囲内に於て後日口頭又は書面にて上告代理人の主張を追加するであろう。

以上

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